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「数理・データサイエンスと大学」インタビュー

第20回 名古屋大学 数理・データ科学教育研究センター センター長 武田 一哉 教授 東海エリアの産学官が一体となって
「製造業の屋台骨」をデータサイエンスで支えたい

大変革を迎えている自動車産業を筆頭に、製造業が集積する東海エリア。数理・データサイエンス・AI人材養成の拠点校である名古屋大学では、企業が求める産業リーダー人材を養成するため、地域の大学と一体となり産業界との連携を密にしたデータサイエンス教育プログラムを展開している。名古屋大学 数理・データ科学教育研究センター センター長の武田一哉教授に取り組み内容と今後の目標を聞いた。

「行動の癖」をコンピュータはどう理解するか

―武田先生はどのような研究をされているのでしょうか。データサイエンスの面白さはどこにあると感じていますか。

私は音楽が好きで、大学では電気音響学を専攻していました。信号処理という学問領域です。例えば、目指す音の放射特性にするためにはスピーカーの形をどうしたらよいか、といった研究です。音がアナログからデジタルになると、デジタル信号処理の技術が生まれ、数学を使って音声の圧縮などいろいろなことができるようになりました。音はコンピュータサイエンスの一部分になり、気がつけば音声合成の分野で学位を取っていました。

その後、当時のKDD(現KDDI)に入社して、翻訳電話や音声認識システムの研究に取り組みます。大学に移ってからは、車の運転者の声を認識してタスクを実行させる対話システムの研究を始め、やがてアクセルやブレーキペダルの踏み方など、運転の信号からドライバーを識別できないかと考えるようになりました。音声の分野では、誰が話しているかを認識する「話者認識」技術がありますが、これを展開して「運転者認識」をやってみようと。

運転など人の行動の特性は「癖」なので、数式には表せません。ですが、データがたくさんあればその分布がわかります。データの偏りによって、人間の個々の癖、行動の個性が表れ、誰が運転しているかを判定できる――と気づきました。学生たちと一緒に約800人の運転の仕方をデータとして集め、運転者認識システムをつくりました。実際に300人に5分くらい運転してもらったところ、75%ほどの精度で運転者を当てられることが分かりました。

数式では説明できないようなことでも、データの分布で説明できる。データの分布を使えば、運転だけでなく、人の行動すべてが複雑なことであっても整理できるのではないか。それからはスポーツにおける戦略など、多人数の行動の信号を集めては分析したりもしました。「行動信号処理」と私は呼んでいますが、行動を観測して出てくる信号を解析することで、その行動に内在する意識や感情を推定したり、次の行動を予測したりできます。自動運転技術などに密接につながる研究分野です。人の行動をコンピュータがどのように理解するかが私の関心領域であり、それはもうデータサイエンスそのものなのです。

“汚れたデータ”を扱う力を身につける「実世界データ演習」

―名古屋大学におけるデータサイエンス教育の特徴を教えてください。

学問領域ごとに必要とされるスキルなどが異なってくるため、システム系、理工系、生命系、社会・人文系の4領域に分け、それぞれ3段階のレベルで能力を身に付ける構成になっています。

初年次教育の「教養教育レベル」では、数理・データ科学の素養を広範に学び、数理的思考と情報処理の基礎を学びます。「学部専門レベル」では、専門に応じたスキルとデータ活用力を、そして「大学院レベル」では、各専門分野の研究に必要な高次の知識・スキルと課題解決力を身に付けます。いわゆるリテラシーレベルに関しては昨年度に文部科学省の認定を、今年度は応用基礎レベルの認定をいただいています。

名古屋大学は岐阜大学との法人統合により国立大学法人東海国立大学機構を設立しており、機構が運用しているLMS(学習管理システム)を活用して、共通の教育教材を使ってリテラシーレベル教育を行うなど、両大学で協調してデータサイエンス教育を進めています。これも一つの特色です。

―リカレント教育など、産業界に向けた教育にも注力されていますね。

社会人や大学院生を対象に、2019年度に「実践データサイエンティスト育成プログラム」を開設しました。こちらも名古屋大学のほか、岐阜大学、三重大学、広島大学の4大学が連携しての取り組みです。

最大の目玉は「実世界データ演習」です。企業や自治体などから課題とそれに関連する実データ課題を提供していただき、5人程度のグループでツールを用い、ディスカッションしながら解いていきます。最終的に企業や自治体に対し、課題解決の提案を行います。プログラムの修了者には「修了証」を授与しています。社会人の修了者数は年々伸びており、22年は37名でした。

―「実世界データ演習」で重視している点は?

実世界で入手できるデータのほとんどは、ノイズや欠損がある“汚れたデータ”であり、そのままでは使えないことが多い。実際の課題を解決するために、そうしたデータを扱う力を養いたいのです。またそのデータで何をしたいか、互いに対話をしないと進まないケースもあるでしょう。そこでデータを中心にして異分野の人間が協力し合う力も重視しています。それにはやはりオープンデータではなく、具体的なデータを使う必要がある。いろいろな企業の方に課題提供をお願いして、昨年は7社、今年は5社から協力をいただいています。

―企業から提供される課題にはどのようなものがありますか。

例えば、レストランチェーンの経営会社が集客データについて要因から予測分析するとか、物流の会社が配送の最適化を図るとか。最近では生産現場のIoTデータをもとに生産効率を上げるためにはどうすればいいかとか。自治体からは「アンケート結果を分析してほしい」という依頼もあります。

製造業が盛んな名古屋という地域柄もあり、産業界にデータサイエンティストを送り出すことは私たちの使命だと感じていますし、産業界からの要望や期待も大きいですね。

ベースは学生ベンチャーを多数輩出したプログラム

―「実践データサイエンティスト育成プログラム」のベースになったプログラムがあるそうですね。それも武田先生がコーディネートされたとか。

10年ほど前にグローバルに活躍するリーダーを育成する目的で、文部科学省による「博士課程教育リーディングプログラム」事業が実施されました。その際、名古屋大学が提案して採択された6プログラムの内の1つが「実世界データ循環学人材育成プログラム」です。製品やサービスを世に出し、それに対するユーザーの反応をデータとして取得し、新たな設計・製造につなげる――そうした「実世界データ循環」により価値創造できる人材、社会変革を起こせるリーダーを博士課程の学生の中から育成することを目的としたプログラムです。

実はこうした循環は、学問分野で言う「制御」に当たります。ただ、実世界は複雑なので、制御方程式を簡単には立てられません。そこをデータサイエンスという学術領域を用いて解決していこうということです。

「実世界データ循環学人材育成プログラム」履修生募集ポスター

―このプログラムから多くの学生ベンチャーが生まれました。

「循環に気づき、循環を築く」をテーマにとにかく新しく何かをやってみようと。循環の輪の中で、自分の研究が「この部分」だとしたら、残りの部分の人たちを見つけてきて一緒にやれば、循環を回せるはず。そこに気づいてもらうことが重要でした。データサイエンティストは、ただ机上で分析できる力があればいいのではなく、自ら動いていろいろなものに繋げ、一つの形にする力があってこそ価値を持ちます。

そう教えたら、受講生の中からあっという間に成功するベンチャーが10社くらい出てきました。材料系の研究室の学生が、機械学習を用いて新材料の探索を効率化する会社を起ち上げ、そのうちに製造工程全般のコンサルティングなども手掛けるようになった例もあります。自動運転関連の会社も複数生まれていて、中でも自動運転に必要な3次元地図を作成して提供する学生ベンチャーの会社は今、大変な勢いで伸びています。それら10社ほどで、時価総額は100億円を軽く超えています。

地域全体で企業ニーズに合致した人材の育成を

―コンソーシアム東海ブロックの拠点校としての活動や、今後の取り組みや目標を教えてください。

データサイエンスによって日本の新時代の製造業の屋台骨を支えていくことが、われわれに課せられた非常に大きなミッションだと思っています。特に自動車技術に関しては「CASE※」という言葉に象徴されるように、100年に1度の大変革が訪れようとしています。車がICTでつながり、交通情報をはじめ種々のデータの大きなプラットフォームになる。そこではデータ活用技術が急速に重要性を増し、企業が求める人材像もこれまでとは全く違ってきます。今後、東海エリアでは数万人規模での人材の大転換が起こると考えています。

それに対応するため、産官学連携で何ができるかを一緒に考えていこうと「東海デジタル人材育成プラットフォーム」を昨年、東海ブロックの主要7大学で設立しました。企業の方々のニーズ、求める人材像などを共有し、人材育成プログラムを地域で推進する体制を目指しています。現在も各大学で企業と連携したさまざまな取り組みが行われていますが、それらを結集して地域全体の力となるような仕組みを考えていきたいと思います。

※CASE:Connected(ICT端末としてのつながるクルマ)、Autonomous(自動運転)、Shared & Services(カーシェアリングやタクシーの配車サービスなど)、Electric(電動化)の4つの頭文字を取った、自動車産業の今後の動向を示す言葉

Profile 武田 一哉

1985年、名古屋大学大学院・工学研究科博士課程(前期課程)修了、国際電信電話株式会社(KDD)に入社。その後、ATR自動翻訳電話研究所研究員、マサチューセッツ工科大学滞在研究員などを経て、2014年より名古屋大学大学院・情報学研究科教授。同大学の副総長や、産学連携プロジェクトを推進する未来社会創造機構 モビリティ社会研究所教授、東海国立大学機構機構長補佐などを歴任。著書に『行動情報処理 自動運転システムとの共生を目指して』(共立出版)などがある