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「数理・データサイエンスと大学」インタビュー

第3回 慶應義塾大学 環境情報学部 教授
ヤフー株式会社チーフストラテジーオフィサー(CSO) 安宅和人氏
明日の日本がデータ×AIの波に乗れるように
希望のリンゴを植えていこう

データサイエンティスト協会の立ち上げからスキル委員長として尽力してきた慶應義塾大学 環境情報学部 教授の安宅和人氏。内閣府の官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM)をはじめ、データサイエンスやAIに関する多くの公的組織で委員を務め、ヤフーCSOでもある。そんな安宅氏に、産業界、国、大学の現状を俯瞰し、データサイエンス教育の視点から、日本が今なすべきことを聞く。

大学が自律的な運営資金を得るためには基金が必要

―安宅さんは、データサイエンスをめぐる日本の現状をどのように見ていますか。

大きな問題が二つあります。端的に言えば、高等教育への投資が足りないことと、人材育成モデルが間違っていることです。

教育投資が不足している最大の原因は、シニア層の増大に伴う社会福祉予算増大の歯止めが効かないからです。そのせいでデータ人材育成や基礎技術開発などの未来のためにリソース投下を増やすことができない。これが高等教育にも悪影響を及ぼし、まともなオファーができないから人材が流出する――という悪循環が起きているのです。

日本の科学技術予算は、ここ10数年まったく増えていません。2016年の金額は3.5兆円で、2004年の3.6兆円から、むしろ減っている状況です。アメリカは15.4兆円ですから、人口比率(約2.5倍)で言えば、日本は6.2兆円程度あってもいい。しかし実際は、5倍以上の開きがあります。

高等教育に掛けられている予算も極めて貧弱。日米のトップ校同士、すなわち東大・京大とStanford、Yale、Harvardなどで、学生一人あたりの予算を見ると3〜5倍の差があります。しかも日本では、予算に占める人件費の占める割合が低い。世界的に大学教員の待遇が改善する中、日本は10年以上に渡って据え置きで、世界的に競争力のある給料が支払われておらず、十分にスタッフも雇えないのです。現場の先生たちからは「プリンターのトナーも買えない」と悲鳴が上がっています。

―シニア層の増大によって社会保障費が財政を圧迫し、高等教育に投資できないということですか。

そのとおり。日本の歳出はおよそ100兆円ですが、社会保障費、公債費、地方交付税交付金等を除いたいわゆる「真水」として使えるものは26兆円しかなく、そこから国防費の5兆円を引いた21兆円で公共事業や教育を賄っているのです。社会保障給付の大部分は介護・医療・年金です。加えて、過去の社会保障費の残債というべき国債の支払いが20兆円以上発生しています。いかに未来を担う若者層へ投資できていないかわかるでしょう。

―現状の課題を克服するために、日本が今なすべきことは何でしょうか。

人を育てるには一過性の資金を投入するだけではほとんど意味がありません。10年、20年とコミットするためには、ベースとなる基金が必要です。そこで私が提唱しているのが、10兆円規模の運用基金をトップ大学の強化費用として国が用意することです。これを運用のプロに任せて平均7%以上の運用益を出す。同時に、税制も変えて、大学や研究機関への寄付は免税とする。アメリカのように、自分が寄付をすると勤め先の企業などがそれと同額を寄付してくれる「マッチアップ寄付」などの仕組みもつくるべきでしょう。

日米の大学の総資産を比べると、東大の110億ドルに対して、ハーバード大は3兆5666億ドル。この差は、そもそも卒業生や富裕層からの寄付の規模が桁違いだということもありますが、ここまで差がつくのは投資・運用力の差が大きい。海外では、大学が大学発のスタートアップに出資をして儲かれば、その運用益を基金へ入れて、また投資へ回す。ハーバードの基金は年間に10%以上の利回りがあり、その多くを更に投資へ回しているのです。日本人が想定する産学連携のような大企業の金が研究費になっている部分は僅かです。これこそが本当の意味での産学連携だと思いますね。


今、求められるのは夢を技術で解き、デザインでパッケージできる人材

―もう一つの「人材育成モデル」の問題とは。

多面的に見て今が技術革新期であることは間違いありません。こうした時代にもっとも大事なのは「夢を描き、それを形にする力」です。それ以外にない、と言ってもいいぐらいです。0から1を叩き出せる人、今ある仕組みを新しい形に刷新できる人が求められているのです。しかし現実は、そのような人材を育てる仕組みになっておらず、今も以前のままの人材育成モデルになっています。一刻も早く、人材育成モデルを変える必要があります。

技術革新によって、富を生む方程式は変わりました。これまでとは違い、企業や事業のスケール(規模)ではなく、未来に対してアップデートできるかどうか、が決め手になっているのです。オールドエコノミーの大企業にとって、生産年齢人口の減少に伴って消費が減ることは事業価値にマイナスとして働きます。一方で、技術革新はスタートアップに大きなチャンスをもたらし、様々な分野で “下剋上”が起きている。2017年春に新参の電気自動車メーカーであるテスラが、世界最大級の事業規模を誇るゼネラルモーターズの企業価値を超したというニュースが顕著な例でしょう。自動車に限らずあらゆる産業が技術革新をテコにしたアップデートの渦中にあり、自ら刷新することができない企業には厳しい未来が残っています。

―0から1を創出する人材とは、具体的にどのような人材像でしょうか。

僕が考える未来の方程式は「夢×技術×デザイン」。夢や課題を技術で解いて、デザインでパッケージする――。必要なのは、そういうことのできる人材です。ここで言う「技術」は、オールドエコノミー的な技術だけではだめで、情報系の技術が大きな柱になることは間違いありません。情報を集めて処理して使う「情報のバリューチェーン」を扱えるデータ人材を増やさなければなりません。イノベーションは異質な分野の掛け合わせから生まれるものなので、異分野をつなげる能力も必須です。また「デザイン」は、全体を見て、どうしたら最も使いやすいかを考えてパッケージする力。事業の系全体のエコノミクスを考える力も必要です。プロデューサー兼デザイナーのような人です。

―データ人材の育成ということでは、どのような課題がありますか。

情報科学は、数学の言葉で書かれています。この理解に必要なのは線形代数、微分、統計数理の三つ。しかし、文系はもちろん、最近では理系の学生でさえ、線形代数の骨格である行列や一次変換を高校までに習っていないのです。2024年度からは、ベクトルすら教科書から落ちるそうです。この事実を知って僕は愕然としました。これは大問題です。中国では、来年度から敵対的生成ネットワーク(GANs)を中学校で教え始めると聞いています。AIネイティブの人材を中等教育段階から育てようとしている。日本は全く逆で、数理の基本さえ教えるのをやめようとしているのです。


情報産業革命の第2、第3フェーズの波に乗るべく“AI ready”にリソースを投入し続ける

―“未来方程式”を実行できるデータ人材を増やすために、大学は何をなすべきでしょうか。

まずは層を厚くしなければなりません。小・中・高校および大学の教養課程までに、データリテラシーのある人を育てる。次に、大学の専門課程および大学院で専門家を十分に育てる。大卒層の1割ぐらいは専門家になってほしいですね。さらにその中から、この分野で日本の次世代リーダーとなるトップ層を育てる――。これが全体像です。

大学では、理系・文系、専門にかかわらずデータ技術やデザイン素養をもった応用型の人材を育成する。専門分野を横断し、経験を柔軟にミックスできる人材育成システムが必要です。大学は情報科学系のプログラムを学部・学科を通じて横展開するべきでしょう。

―安宅さんは、内閣府の「人間中心のAI社会原則検討会議」で「AI ready」の概念を提唱されていますね。

今、日本にまず必要なのは「AI ready化」だと僕は思っています。これこそが、夢を実現するためにAIやデータの力を解き放つこと。未来方程式の具現化です。具体的に挙げてみましょう。まず、データサイエンスの基本を中等教育までに教え、誰もが使うことができるようにする。そのうえで、世界の最先端をいく研究をする人材も層が厚く存在している状況をつくる。

すべての業界がデータ×AI化し、誰もが便益をあらゆるところで受けるようにする。データは鮮度が命ですから、極度に特定のベンダーに依存しないシステムとし、リアルタイムに引き出せることも重要です。同時に、低廉にデータ処理ができることも必須。現状は産業用の電気代の競争力が低く処理コストがかかりすぎて、データビジネスの競争力を阻害しています。処理コストを下げ、大量データ処理やAIの独自技術を育てなければなりません。そして、AIネイティブ層があらゆる分野の刷新をリードし、ミドル層とシニア層が資金面でそれを支えるようにする。これらのことが実現し、十二分にAI readyになるまでリソースを投下し続けなければなりません。

データとAIが産業化する流れを大局で見ると、今はちょうど第1フェーズが終わろうとしている段階です。これからデータとAIの二次的応用が進む第2フェーズ、インテリジェンスネット化が実現する第3フェーズがやってきます。日本は第1フェーズには乗り遅れましたが、勝負はこれから。ルターの言葉ように、明日を信じて今日、リンゴの木を植えていかなければ、と思っています。

安宅和人 プロフィール

1968年、富山県生まれ。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経化学プログラムに入学。2001年に学位取得(Ph.D.)取得後、マッキンゼー復帰に伴い帰国。2008年9月ヤフーへ移り、COO室長、事業戦略統括本部長を経て2012年7月よりCSO。データサイエンティスト協会理事。2018年9月より慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)環境情報学部教授。文部科学省の高等教育プログラム検討支援や、情報処理推進機構のスキル標準化の検討など、教育の標準化に向けた取り組みに尽力。国の人工知能技術戦略会議の産業化ロードマップ副主査、官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM)運営委員など多くの公的な役割を担う。著書に『イシューからはじめよ』(英治出版)がある。